2017年08月04日

僕が歩んだ介護の路その27

在宅介護とフルタイムの仕事を両立させることは無理。

終日ヘルパーさんを雇う金があれば別だが、そんな金はない。

それでも、自分は両立させることを模索していた。




フルタイム勤務をパートタイムに変え、仕事に行っている間はヘルパーさんにお願いする。

収入は減るが、父の遺族年金と母の年金があればなんとか生活を維持できる。




しかし、この話を職場の上司に語ったがあまりいい顔をしなかった。

都合良すぎる話であることは重々承知している。

「とにかく、会社に自分の希望を話しなさい」と優しく上司は言ってくれた。




そして本社に出向き、全ての事情と希望を語った。

しかし会社側は、現状あなたに希望に沿うことはできません、と言われた。

覚悟はしていたが、あっさり拒否されると途方に暮れる。

やっと就職できた会社。仕事は苦痛の極みだが、精神的にはストレスフリーな職場だった。

去り難い気持ちはあったが、拒否された以上は去るしかない。




退職する旨を会社側に伝えると、翌々日には退職関連の書類が送られてきた。

人の出入りが激しい業種なだけに、対応も早いのだろう。

(仲良くしてくれた同僚さんにお別れの挨拶ができなかったのが残念ならない)




「途方に暮れる」と書いたが、介護は待ってはくれない。

とりあえず、一人で在宅介護を始めてみて、ケアマネさんに介護にかかる費用を算出してもらい、

そのうえで母の状態をみながら、短時間のアルバイトを探してみようと計画を立てた。

先の見えない戦いが始まった。




季節は年の暮れ。

行き交う人が幸せの絶頂にいるように見えた。




“どうして自分だけこんなに辛い思いをしなければいけないのだ!?”




恨み節を天に向って吠えても、天は答えてはくれなかった。



(つづく)



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2017年05月23日

僕が歩んだ介護の路その26

父の告別式が終わった翌日、母のケアマネ・Yさん(以下、Yさん)に電話を入れた。

「はじめまして」と伝え、父が亡くなったことを言うとかなりビックリしていた。




“母のケアプランもそうですが、介護保険の初歩の初歩から教えてもらえせんか?”




そう伝えると、Yさんはその翌日に飛んで来てくれた。




「全てのことが分からない」と素直に訴え、Yさんはその全てに的確に答えくれた。

当時の自分は、医療や介護の世界で働く人のイメージを悪く思っていて、

人の生死を見つめる過酷な環境ゆえ、事務的で冷淡な人じゃないと務まらないと思っていた。

しかし、Yさんは知的で温かみがあり、かつ優しい人柄でホッとした。

ちなみに、容姿は元タカラジェンヌでフリーアナウンサーの【瞳ゆゆさん】に似た雰囲気。

(残念ながら既婚者・・・というオチがあるのだがw)




初対面のその日のうちに介護保険のイロハを教えてもらい、暫定的なケアプランもまとめてもらった。

ただ、解決しなければならない大きな問題もあった。

それは「仕事」と「お金」のこと。




すぐに入居施設に入れることはできないことは分かっていた。また入れるつもりもなかった。

在宅介護を念頭に入れていたが、それ自分の仕事を捨てることになる。




“収入がなくなる状態で介護ができるのか?”




疑問以上に不安が大きかった。

Yさんも「仕事は続けられられたほうが・・・」と言ってくれた。

自分もそう考えたが、フルタイム勤務は難しい。




“ならばパート勤務にしてもらうよう会社とお願いするしかない”




しかしながら、そう甘くはなかった。

育児休暇制度や介護休暇制度が世間一般では認知されているようだが、

それはあくまでも一部の会社のみ。

当時勤めていた会社は、自分と母を冷たく突き放した・・・。



(つづく)



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2017年05月07日

僕が歩んだ介護の路その25

父が亡くなった時の様子は、昨日のことのように覚えている。

最後まで母のことを気に掛け、実際、急死する直前まで母の世話をしていた。

無念だったと思う。というより、自分が死ぬなんて思っていなかったのでは、と思う。




病院(当時、仕事の請負先だった)で医師から死亡宣告を受け、

病院から警察へ、警察から葬儀会社へ遺体が移され、

その後、親戚への連絡、葬儀の段取り、各種手続きなど

父の死を悲しむ余裕などないくらい、雑務に忙殺された。




実際、父の死因はよく分からない。

過労なのか? 薬なのか? それとも病気だったのか?

医師からは解剖の話もあったが、断った。

死因が特定されても生き返るわけがなかったからだ。




母は泣いた。大泣きした。

突然逝ってしまったのだから仕方がない。

でも、自分は泣いている余裕はなかった。




直近の課題であり、最大の問題である母の介護のこと。

次に、介護のやるうえで必要となってくるお金の問題。

大学病院への通院、生命保険・・・・・・ん?

そもそも通帳や印鑑、健康保険証がどこにあるのか知らないぞ??

そして、今後の自分の仕事や生活。




父の通夜。

住職の読経が響く中、母の手を握りながら山積する問題の多さに途方に暮れていた。




“葬儀が終わったらすぐにケアマネさんに連絡しよう”




そんなことぐらいしか考えることができなかった。

今思えば、父と「母の介護」について踏み込んだ話をすべきだった。

そして自分が仕事を辞めてでも父の負担を減らずべきだった。

後悔先に立たず、である。




生前、滅多に他人を褒めない父がケアマネさんのことを褒めていた。

ある意味、自分への遺言だったのかもしれない。

そして実際、このケアマネ・Yさんはその後の在宅介護生活を送ることになる自分に、

何度も助け舟を出してくれる恩人となった。



(つづく)



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