2017年02月11日

僕が歩んだ介護の路その24

木枯らしが世間を騒がす季節になった。

晩秋になって風邪が流行り出すと、父が真っ先に風邪をひいた。

きっとパチンコ屋でもらってくるのだろう。

マスクもしていたが、洗っていないものを何日も付けている状態で何の意味もなかった。

この年もゲホゲホと咳をしていた。




“毎年の風物詩だねw”




と笑ったが、父は

『お母さんの身体を支えたりすると、心臓がバクバクするんだ』

と、妙なことを言っていた。




在宅介護というのは、介護者に大きなストレスを与える。

身体的な介護もそうだが、介護保険の役所の手続きやケアマネとのケアプランの話し合い・・・。

ましてや、介護には朝も夜も休日もない。

自分も仕事で疲れ果てていて、母へのサポートが疎かになっていた。

出来る限りのことはやっていたが、仕事と並行しての介護は難しい状況だった。




父は医師の勧めもあり、精密検査(CTの撮影?)を行った。

結果が出るのは数週間後、と父は言っていた。




“やっぱり今の仕事は辞めよう。このままだと父も倒れる”




拘束時間10時間ぐらいの仕事から、3~5時間ぐらいのパートに変えて、

時間が空いた分、母の介護をやる。そうすれば父の負担も軽減する。

収入は大幅に減るが、共倒れるになるよりマシという考えがあった。

(実際、病院でのゴミ回収業務は肉体的に自分には限界だった)




『お前の考えは分かった。でも結論は精密検査が出てからにしよう』

そう父は答えた。

父は父で息子である自分に負担を掛けたくない、という思いがあったと思う。

昔の父は知らないが、自分が知る父は自分のことより家族のことを何よりも優先する人間。

ただ、父の年齢や肉体的老化、そして日増しに悪くなる母の状態を鑑みると、自分も行動に移すほかなかった。




精密検査の結果、「重症レベルではないが、心筋梗塞の恐れがあるので要注意」との結果だった。

新しい薬を3種類貰ってきた。

すでに血圧の薬やその他、いろんな種類の薬を飲んでいたので、さらに増えることになる。

『薬だけでお腹いっぱいなるね』

そんな会話を父と母とでした思い出がある。




“折を見て上司に退職することを話そう”




年内一杯で辞めるつもりだった。

そして、介護の事務手続きを自分が引き受け、負担の大きい大学病院への付き添いも自分が受け持つ。

できれば母を担当しているケアマネさんとも今後のことについて話がしたい。

そんなビジョンを持っていた。




新しい薬の飲み始めて3日後のこと。

父が死んだ。



(つづく)




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2017年01月26日

僕が歩んだ介護の路その23

病院での拘束時間は19:30まで。

ゴミの量にもよって終了時間は変わったが、出来る限りその時間に終わらせるようにした。

一人業務だったので、助けくれる人はいない。だから必死だった。




それは9月中旬だった頃と記憶している。

業務終了時間間際にアクシデントがあり、残業をするハメになった。

21:00には終わり、帰り道を急いでいたら自宅から電話があった。

父からだった。




「どうした? 今日は遅いな」

「残業だよ。そんな心配をする年齢でもないだろ。それに今帰り道の途中だから」

「お母さんがお前が帰ってこない、って心配して泣いているんだよ」




その時、もう母は完全に動けない身体になっていた。

顔の表情もなくなっていた。

ただ、頭だけはしっかりしていた。

毎日決まった時間に帰ってくる人間が帰ってこないこと。

通常ならば、残業か、寄り道か、と考えるところだが、病気のせいで心細くなっていたのかもしれない。

身体の動かぬ母にとっては、父と自分が命綱なのだから・・・。




その命綱である自分も日々の業務に疲れ切っていた。

休みは週に1日。疲れが抜けない状態のまま仕事に行く毎日。

自然と介護は、父に任せっきりになってしまっていた。




“この状況、なんとかしないとな”




そう思うようになっていた。

父も高齢で、これ以上負担をかけるわけにもいかない。

もう少しゆとりある生活を模索するようになっていた。




が、実際行動には移さないままだった。

秋になり寒さが身に染みる季節になった頃、本当の介護地獄へのカウントダウンが始まった。



(つづく)



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posted by 左一白 at 16:26| Comment(0) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

僕が歩んだ介護の路その22

自分の要領が悪いせいなのか、病院でのゴミ収集業務は勤務時間内に

終わらせることは困難だった。朝も30分早めに来て作業を始め、

昼休みも30分程度に済ませ、定時に終わらせることで必死だった。




仕事中、一番つらかったのはトイレ。

作業員は院内トイレ使用禁止だったので、作業員詰め所にある簡易トイレを使った。

しかし、その簡易トイレも恐ろしいほど汚いうえにカギがかからない。

大きいほうをする時なんて、片手でドアを押さえながらやったもんだw

おばちゃんたちは、清掃のついでに院内のトイレを使うことも可能だったのだろうが、

自分はそうはいかない。それにしても何故作業員は使用禁止だったのだろうか?




流しも水しか出ない。瞬間湯沸かし器なんてものもない。




“冬場になったどうするんだ??”




そんなことを考えていた。




途中、研修を兼ねて1ヶ月ほど他の請負先へ出向いていた時期もあったが、

基本的には病院内のゴミ収集業務をやっていた。

ある意味気楽ではあったが、自分の体力では厳しかった。

そして、仕事のやりがいも全くなかった。




ただ、ほんの若干名ではあったが、自分のような仕事をしている人でも

気を使ってくれる病院職員さんや看護師さんは居た。

お互い忙しく話す余裕もなかったが、顔を会わす度に挨拶できたことは良い思い出。




母は自分が出掛けると、不安そうな顔で自分を見つめた。

きっと、心細かったのだろう。

出掛ける前、いつも握手して「行ってくるね、バイバイ」と言葉を交わした。

自分もまた母を残して仕事に行くことが心残りだったと今思う。

そして父も、「今日も頑張ってこい!」と声を掛けてくれた。

自分が疲れ果てていることを見越してのことだろうと思う。

父の言葉がどれほど心強かったか。父の優しさは一生忘れない。



(つづく)



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