2017年05月23日

僕が歩んだ介護の路その26

父の告別式が終わった翌日、母のケアマネ・Yさん(以下、Yさん)に電話を入れた。

「はじめまして」と伝え、父が亡くなったことを言うとかなりビックリしていた。




“母のケアプランもそうですが、介護保険の初歩の初歩から教えてもらえせんか?”




そう伝えると、Yさんはその翌日に飛んで来てくれた。




「全てのことが分からない」と素直に訴え、Yさんはその全てに的確に答えくれた。

当時の自分は、医療や介護の世界で働く人のイメージを悪く思っていて、

人の生死を見つめる過酷な環境ゆえ、事務的で冷淡な人じゃないと務まらないと思っていた。

しかし、Yさんは知的で温かみがあり、かつ優しい人柄でホッとした。

ちなみに、容姿は元タカラジェンヌでフリーアナウンサーの【瞳ゆゆさん】に似た雰囲気。

(残念ながら既婚者・・・というオチがあるのだがw)




初対面のその日のうちに介護保険のイロハを教えてもらい、暫定的なケアプランもまとめてもらった。

ただ、解決しなければならない大きな問題もあった。

それは「仕事」と「お金」のこと。




すぐに入居施設に入れることはできないことは分かっていた。また入れるつもりもなかった。

在宅介護を念頭に入れていたが、それ自分の仕事を捨てることになる。




“収入がなくなる状態で介護ができるのか?”




疑問以上に不安が大きかった。

Yさんも「仕事は続けられられたほうが・・・」と言ってくれた。

自分もそう考えたが、フルタイム勤務は難しい。




“ならばパート勤務にしてもらうよう会社とお願いするしかない”




しかしながら、そう甘くはなかった。

育児休暇制度や介護休暇制度が世間一般では認知されているようだが、

それはあくまでも一部の会社のみ。

当時勤めていた会社は、自分と母を冷たく突き放した・・・。



(つづく)



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2017年05月07日

僕が歩んだ介護の路その25

父が亡くなった時の様子は、昨日のことのように覚えている。

最後まで母のことを気に掛け、実際、急死する直前まで母の世話をしていた。

無念だったと思う。というより、自分が死ぬなんて思っていなかったのでは、と思う。




病院(当時、仕事の請負先だった)で医師から死亡宣告を受け、

病院から警察へ、警察から葬儀会社へ遺体が移され、

その後、親戚への連絡、葬儀の段取り、各種手続きなど

父の死を悲しむ余裕などないくらい、雑務に忙殺された。




実際、父の死因はよく分からない。

過労なのか? 薬なのか? それとも病気だったのか?

医師からは解剖の話もあったが、断った。

死因が特定されても生き返るわけがなかったからだ。




母は泣いた。大泣きした。

突然逝ってしまったのだから仕方がない。

でも、自分は泣いている余裕はなかった。




直近の課題であり、最大の問題である母の介護のこと。

次に、介護のやるうえで必要となってくるお金の問題。

大学病院への通院、生命保険・・・・・・ん?

そもそも通帳や印鑑、健康保険証がどこにあるのか知らないぞ??

そして、今後の自分の仕事や生活。




父の通夜。

住職の読経が響く中、母の手を握りながら山積する問題の多さに途方に暮れていた。




“葬儀が終わったらすぐにケアマネさんに連絡しよう”




そんなことぐらいしか考えることができなかった。

今思えば、父と「母の介護」について踏み込んだ話をすべきだった。

そして自分が仕事を辞めてでも父の負担を減らずべきだった。

後悔先に立たず、である。




生前、滅多に他人を褒めない父がケアマネさんのことを褒めていた。

ある意味、自分への遺言だったのかもしれない。

そして実際、このケアマネ・Yさんはその後の在宅介護生活を送ることになる自分に、

何度も助け舟を出してくれる恩人となった。



(つづく)



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posted by 左一白 at 21:30| Comment(1) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

僕が歩んだ介護の路その24

木枯らしが世間を騒がす季節になった。

晩秋になって風邪が流行り出すと、父が真っ先に風邪をひいた。

きっとパチンコ屋でもらってくるのだろう。

マスクもしていたが、洗っていないものを何日も付けている状態で何の意味もなかった。

この年もゲホゲホと咳をしていた。




“毎年の風物詩だねw”




と笑ったが、父は

『お母さんの身体を支えたりすると、心臓がバクバクするんだ』

と、妙なことを言っていた。




在宅介護というのは、介護者に大きなストレスを与える。

身体的な介護もそうだが、介護保険の役所の手続きやケアマネとのケアプランの話し合い・・・。

ましてや、介護には朝も夜も休日もない。

自分も仕事で疲れ果てていて、母へのサポートが疎かになっていた。

出来る限りのことはやっていたが、仕事と並行しての介護は難しい状況だった。




父は医師の勧めもあり、精密検査(CTの撮影?)を行った。

結果が出るのは数週間後、と父は言っていた。




“やっぱり今の仕事は辞めよう。このままだと父も倒れる”




拘束時間10時間ぐらいの仕事から、3~5時間ぐらいのパートに変えて、

時間が空いた分、母の介護をやる。そうすれば父の負担も軽減する。

収入は大幅に減るが、共倒れるになるよりマシという考えがあった。

(実際、病院でのゴミ回収業務は肉体的に自分には限界だった)




『お前の考えは分かった。でも結論は精密検査が出てからにしよう』

そう父は答えた。

父は父で息子である自分に負担を掛けたくない、という思いがあったと思う。

昔の父は知らないが、自分が知る父は自分のことより家族のことを何よりも優先する人間。

ただ、父の年齢や肉体的老化、そして日増しに悪くなる母の状態を鑑みると、自分も行動に移すほかなかった。




精密検査の結果、「重症レベルではないが、心筋梗塞の恐れがあるので要注意」との結果だった。

新しい薬を3種類貰ってきた。

すでに血圧の薬やその他、いろんな種類の薬を飲んでいたので、さらに増えることになる。

『薬だけでお腹いっぱいなるね』

そんな会話を父と母とでした思い出がある。




“折を見て上司に退職することを話そう”




年内一杯で辞めるつもりだった。

そして、介護の事務手続きを自分が引き受け、負担の大きい大学病院への付き添いも自分が受け持つ。

できれば母を担当しているケアマネさんとも今後のことについて話がしたい。

そんなビジョンを持っていた。




新しい薬の飲み始めて3日後のこと。

父が死んだ。



(つづく)




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posted by 左一白 at 21:42| Comment(0) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする