2017年05月07日

僕が歩んだ介護の路その25

父が亡くなった時の様子は、昨日のことのように覚えている。

最後まで母のことを気に掛け、実際、急死する直前まで母の世話をしていた。

無念だったと思う。というより、自分が死ぬなんて思っていなかったのでは、と思う。




病院(当時、仕事の請負先だった)で医師から死亡宣告を受け、

病院から警察へ、警察から葬儀会社へ遺体が移され、

その後、親戚への連絡、葬儀の段取り、各種手続きなど

父の死を悲しむ余裕などないくらい、雑務に忙殺された。




実際、父の死因はよく分からない。

過労なのか? 薬なのか? それとも病気だったのか?

医師からは解剖の話もあったが、断った。

死因が特定されても生き返るわけがなかったからだ。




母は泣いた。大泣きした。

突然逝ってしまったのだから仕方がない。

でも、自分は泣いている余裕はなかった。




直近の課題であり、最大の問題である母の介護のこと。

次に、介護のやるうえで必要となってくるお金の問題。

大学病院への通院、生命保険・・・・・・ん?

そもそも通帳や印鑑、健康保険証がどこにあるのか知らないぞ??

そして、今後の自分の仕事や生活。




父の通夜。

住職の読経が響く中、母の手を握りながら山積する問題の多さに途方に暮れていた。




“葬儀が終わったらすぐにケアマネさんに連絡しよう”




そんなことぐらいしか考えることができなかった。

今思えば、父と「母の介護」について踏み込んだ話をすべきだった。

そして自分が仕事を辞めてでも父の負担を減らずべきだった。

後悔先に立たず、である。




生前、滅多に他人を褒めない父がケアマネさんのことを褒めていた。

ある意味、自分への遺言だったのかもしれない。

そして実際、このケアマネ・Yさんはその後の在宅介護生活を送ることになる自分に、

何度も助け舟を出してくれる恩人となった。



(つづく)



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posted by 左一白 at 21:30| Comment(1) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も大脳皮質基底核変性症の患者です。当事者です。本来は文章を書くことをドクターストップされていますがどうしてもコメントしたくて。私は40歳になる前に発症してる稀な症例です。完全に母の介護が無いと生きていくことは難しい状態です。母や家族より先に逝く可能性が高いと思っていました。ですがこの記事を読んで思いました。お父様のご冥福をお祈り致します。お父様は心残りだったでしょうね。お母様がお泣きになった理由が私も良くわかり涙が出ました。頼りにされていたんでしょうね。私ももし母が何か病気などになった時を考えて主治医から施設の体験を勧められています。私は自宅が良いのが本音ですが、母の負担を考えると入所出来るのならと考えています。既に胃ろう、在宅酸素中の完全に寝たきりです。ここ数日脳からくるけいれんに困っていますけど仕方のないことだと思います。。脳の細胞が徐々に消えていくことは説明されています。。私もブログを書いていました。当事者からの考えを。でも直ぐに体調を崩しドクターストップされてからはやめました。体全体の機能が弱くなってきているそうです。最近では自分の意識が飛んでしまうことが増えました。それでも笑顔だけは忘れたくない。母や周りの人が誰か?わからくなるとき痛み苦しみもわからないと思います。これは夢物語ですが完治が出来る望みは捨てたくありません。今を精一杯生きたいです。お疲れにならないようにお身体は気をつけてくださいね。それにお若いのにとても親孝行だと思います。私は予後についても受け入れていますから気持ちの整理はついています。私は幸せ物だと思います。家族のそばにいて大好きな母が看てくれていますから。これは患者になれば同じ気持ちでは?と思います。常にありがとうと心の中で思っていますよ。あなたが今までしてくれたコトは絶対お父様は喜ばれているとお思いますよ?頑張ってくださいね。応援しています。長文失礼致しました。
Posted by pitan at 2017年05月13日 01:54
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