2017年01月26日

僕が歩んだ介護の路その23

病院での拘束時間は19:30まで。

ゴミの量にもよって終了時間は変わったが、出来る限りその時間に終わらせるようにした。

一人業務だったので、助けくれる人はいない。だから必死だった。




それは9月中旬だった頃と記憶している。

業務終了時間間際にアクシデントがあり、残業をするハメになった。

21:00には終わり、帰り道を急いでいたら自宅から電話があった。

父からだった。




「どうした? 今日は遅いな」

「残業だよ。そんな心配をする年齢でもないだろ。それに今帰り道の途中だから」

「お母さんがお前が帰ってこない、って心配して泣いているんだよ」




その時、もう母は完全に動けない身体になっていた。

顔の表情もなくなっていた。

ただ、頭だけはしっかりしていた。

毎日決まった時間に帰ってくる人間が帰ってこないこと。

通常ならば、残業か、寄り道か、と考えるところだが、病気のせいで心細くなっていたのかもしれない。

身体の動かぬ母にとっては、父と自分が命綱なのだから・・・。




その命綱である自分も日々の業務に疲れ切っていた。

休みは週に1日。疲れが抜けない状態のまま仕事に行く毎日。

自然と介護は、父に任せっきりになってしまっていた。




“この状況、なんとかしないとな”




そう思うようになっていた。

父も高齢で、これ以上負担をかけるわけにもいかない。

もう少しゆとりある生活を模索するようになっていた。




が、実際行動には移さないままだった。

秋になり寒さが身に染みる季節になった頃、本当の介護地獄へのカウントダウンが始まった。



(つづく)



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posted by 左一白 at 16:26| Comment(0) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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