2016年12月03日

僕が歩んだ介護の路その21

愛猫は、その日のうちに東京・両国にある回向院に連れて行って供養してもらった。

遺骸をそばに置いておいても生き返るわけではない。

なにより一番可愛がっていた母のことを思えば、早く忘れさせてやることがベターと思った。

といっても20年以上家族として暮らしていたわけで、忘れようがないが。

(自分も、いまだに可愛い“妹”の存在が忘れられない・・・)




さすがにショックだったのだろうか、母の病状はより悪化していった。

もちろん、病気と愛猫の死の因果関係があるとは思えないが、口数はより一層減っていった。




しかし、悲しむ余裕は自分にはなかった。

希望に叶う会社を見つけたのだ。

勤務地(請負先)は、自宅から自転車で数分の所。

これなら通勤時間の分、介護の時間に充てられる。父の負担の軽減する。

面接を申し込み、実際面接をしたのだが、待てど暮らせどその後の連絡がない。




訓練校同期は次々と就職が決まり、内定を貰っていないのは自分と就職する気が全くないヤツだけとなった。

訓練校卒業の前々日、2次面接の連絡が来て、そして訓練校卒業式の午後、やっと内定を貰えた。

ちなみに給料は19万円、休みは4週6休。身分は契約社員。




そして入社した。

しかし、そこに待っていたのは過酷な肉体労働の日々だった。

訓練校で学んだことは、何一つ活かされることはなかった。

仕事の内容は、地元拠点病院でのゴミ回収。

院内から排出されるゴミを山盛りにカートに乗せて、

裏庭にあるゴミ置き場まで運ぶ。

1回に回収できる量はたかが知れている。

ゆえにゴミ置き場まで何度も何度も往復する。




楽な仕事といえば、楽な仕事。

しかし、その量は半端なく大量で、かつ重い。

ゴミ収集車が毎日2台やって来て回収していった。

それ以外に医療ゴミがあり、これも専用の収集車が週に2回来ていた。

休みは4週6休とのことだったが、実際は日曜日しか休みはなかった。

その日曜日もたまに休日出勤しなければならない日があった。

身体が仕事に慣れることはなかった。毎日がヘロヘロだった。




“気楽な仕事だ。意地悪する人もいない”




そう前向きに考えるように仕事をしていたが、

介護と仕事を両立する目論みは崩れ去った。



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posted by 左一白 at 16:45| Comment(0) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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