2016年07月26日

僕が歩んだ介護の路その2

大脳皮質基底核変性症(だいのうひしつきていかくへんせいしょう)。

一度聞いただけでは絶対覚えることが出来ないこの長ったらしい病気は、前回書いたように根本的な治療方法がない。

ちなみに、今通っている介護職員初任者研修のテキストには、こんな風に書いてある。


『大脳皮質基底核は、視床に隣接するように存在し、大脳半球の中にあります。大脳皮質基底核の働きはスムーズに運動ができるように、顔面の表情や身体動作、骨格筋の調節に関わっています』


つまり、運動機能の司る大脳皮質基底核という部分が機能しなくなる難病。

外科的な手術方法もなく、また、ピンポイントで効く内服薬もない。

唯一の方法としては、病気の進行を遅らせる薬がある。しかし、この薬も母の病気に直接効く薬というわけではなく、似た病気である(この辺りは詳しくは知らないが)パーキンソン病の進行を遅らせる薬を飲むことだった。




家族にとっては、にわかには信じがたい事実だった。

また、直接的な対処方法ないことも、今後の生活における方向性を不透明にさせるものだった。

医師から宣告を受けた当時、ネットで調べてみたが「発症から余命5年」と見た記憶がある。

結論から言えば、このネットで見た情報通り母の命はそうなってしまうのだが……。

母だけではない。この難病によって父も、20数年ともに暮らしてきた愛猫も失うことになる。




父は近所の介護施設(熟年相談センター)に相談し、そこから役所に出向き、介護保険の申請を行った。

ケアマネジャーさんがやって来て、母の審査を行い、「要支援2」の認定を受けた。

まず介護保険を使って、玄関前にスロープを作り、玄関口・居間・トイレ・風呂場に手すりを設置した。

また、センサーで自動開閉できるウォシュレットも購入した。




ちなみに母の病気は難病指定されている病気で、治療費はすべて無料だった。

(その後、月額上限2500円→5000円と値上がりしていくのだが)




大学病院の医師から処方された薬を飲むようになった母は、

「夜眠れない」「目が回る」「足がもつれる」等のことを言い出した。

病気の進行によるものか、薬の副作用かは分からない。ただ、薬には強い副作用はあると言われていた。

家族としては出来る限りのことを考え、実行した。寝やすいように低反発素材の枕を買ったり、寝る前にホットミルクを飲ませたり、頭を冷やすと寝やすいと聞いてアイスノンみたいな氷枕まで買った。

次第に不眠の症状を訴えることは減ってきたが、それに反比例して転ぶようになった。

人間というのは、転べば知らず知らずに受け身を取る。手で庇ったり、身体や顔を反らしたり。

しかし、そういう回避運動みたいなことができなくなっていた。

足に青あざなんて年がら年中。よろけて壁にぶつかって肩の骨にヒビ、ドアノブに顔をぶつけて殴られたボクサーみたいな顔面青く腫れ上がったこともあった。



その翌年だった思う。

再び母の介護度の審査を行い、「要介護3(2だったかな?)」になった。

そして身体障害1級の認定も受けた。

また、要支援から要介護になったことでケアマネジャーさんが変更することになった。


(つづく)



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posted by 左一白 at 22:17| Comment(0) | 在宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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